僕のオーケストラは存在する

「良い子はみんなご褒美がもらえる」考察ブログです。

日本版舞台「良い子はみんなご褒美がもらえる」初見感想及び原作戯曲に基づいた私的考察

私的考察を書き殴る前にできるだけざっくりと、必要最低限の自己紹介を。

私は元々年季入ったロシアクラスタで、特技と言えるのは露和翻訳のみです。
しかし音楽劇「コインロッカー・ベイビーズ」初演と再演を経て河合キク&ハシにベタ惚れし、A.B.C-Zのファンになりました。
FC入会した直後に、コイベビW主演の片割れ橋本良亮さんが「アレクサンドル・イワノフ」役でトム・ストッパード原作の「良い子はみんなご褒美がもらえる」に出演されるとの情報が回ってきた時は、「君絶対ロシア人役じゃんあたい今幻覚見てんだろうな精神病院に入れられちゃうな……」と気が狂いそうになりました。
十二分に頭おかしくなっちゃったんで英語原作戯曲のロシア語翻訳を日本語に全訳するという回りくどいことをしました。

https://twitter.com/pesnja_alisy/status/1112522653548445701

英語よくわかんないからってロシア経由しちゃって本当申し訳ない……英語原作から直接翻訳という正規ルートだったら「おら原作戯曲の日本語翻訳だぜありがたく思いな」とドヤ顔できたんですが……。


私自身のことは本当どうでもいいんですが、この記事は
日本版舞台「良い子はみんなご褒美がもらえる」観劇前に英語原作戯曲を(他言語翻訳を一旦経由しているとはいえ)全訳するほど読み込みまくって話の筋も科白の流れも頭に叩き込み、YouTubeで英語版舞台も視聴済みという、観劇前に原作を履修しすぎたえびFCの新規会員(去年の10月に入会)が書いています。
おまけにロシアクラスタなもんで無駄に北から目線です。
自分で言って何が何だかよくわかりませんが、とにもかくにも日本版舞台「良い子はみんなご褒美がもらえる」の初見感想を残しておきたいのです。
他に翻訳ないんで手っ取り早く自分の露和翻訳から引用もします。
あしからずご了承ください。了承できなさそうならさくっとブラウザバックしてください。


原作戯曲を頭に叩き込んでいたもので、
日本版舞台「良い子はみんなご褒美がもらえる」初見時の一番の感想は、
「原作戯曲まんまだぞ正気か!?」でした。
細かい言い回しまでほぼ忠実すぎてびっくりした。
だって演出のウィル・タケットさん、
舞台は「架空の独裁国家」って言い張ってたじゃん……。
架空の独裁国家設定で行くならば、
時と場所を特定できる原作科白をまるっと書き直すかぼかすかしちゃうのかな?と身構えていたんですが、
いざ舞台を見たらロシア関連の科白が全部残ってて本当にびっくりしました。
「父と子」もツルゲーネフソ連軍によるチェコスロバキア侵攻も赤の広場のデモもアルセナーリナ通りのレニングラード特別精神病院も「白鳥の湖」も「戦争と平和」もソビエト連邦憲法もニコライ・ブハーリンもピョートル・グリゴレンコ将軍もぜーんぶ生き残ったぞ?
ウィルさんどっかで「見る人によっては『これはロシアの話なのか?』『チェコスロバキアの話だな?』と思われるかも知れませんが」とおっしゃってたけど、1,324人中(赤坂ACTシアターのキャパ数)1,324人が「あっこれロシアの話ですね」って思っちゃうぞ?
HAHAHAブリティッシュジョークがきついぜウィル~(気安く呼び捨てするな)……まあ北から目線はこの辺で切り上げましょう。


ここから先は、「良い子はみんなご褒美がもらえる」の日本版舞台と英語原作戯曲及び英語版舞台との違いについて語っていきます。

観劇初回で「架空の独裁国家っつってたけどこれ完全にロシアだぞ関係者各位正気か!?」と呆気に取られるほど、細かい科白まで原作戯曲ほぼそのままだった日本版舞台「良い子はみんなご褒美がもらえる」ですが、いくつか見過ごせない変更点がありました。

(自分が言い慣れてしまっているので、英語原作と英語版舞台の三人のアレクサンドル・イワノフは「アレクサンドル」「イワノフ」「サーシャ(サーシャはアレクサンドルの愛称なので彼のフルネームも「アレクサンドル・イワノフ」です)」、日本版舞台は俳優名と超個人的な事情から「堤サンドル(堤真一さんが演じるアレクサンドル)」「ハシノフ(橋本良亮さんが演じるイワノフ)」「サーシャくん(シム・ウンギョンさんが演じるサーシャ少年)」と呼び分けて区別します)


日本版舞台と英語原作及び英語版舞台との相違点。

その一:ハシノフは堤サンドルに「(ハシノフにだけ聞こえるオーケストラの音色が)聞こえる?」としきりに問いかける。
・このくだりは原作には一切ありません。
(原作になかったので印象深く「しきりに」と感じたのですが実際は三回だけだったそうです)

その二:監房で「戦争と平和」を読もうとする堤サンドルがハシノフに読書の邪魔をされて激高し本を振り上げ殴りかかる素振りを見せる。
・原作にもアレクサンドルの肩越しにイワノフが「戦争と平和」の冒頭部を音読する場面はありますが、殴られそうになるのはむしろアレクサンドルです。

その三:エンディング。
・真逆すぎてびっくりしすぎたのであとで長々とまとめます。


註:日本版舞台の冒頭で堤サンドルが息子サーシャに向けて「時間潰しにお前に宛てた詩を書くよ」と綴る科白は原作戯曲にはありませんが、配信で聴ける舞台サントラには入っています。


ここで唐突に余談ですが、私がYouTubeで見た英語版舞台のイワノフ役の俳優さんは、長身痩せぎすにもさったい髪型でヒステリックな躁鬱患者という役作りだったので、ハシノフもそっち目指すのかな、と予想してたんですが、実際蓋開けてみたら橋本さんほっぺふくふくなえび担歓喜の健康体そのもので実に生き生きと健全に気ぃ狂っててほんっとびっくりしたんだよ! なんだあれ世界一かわいい狂人だろ……絶対に同室になりたくないけどフェンス越しに面会行って差し入れしたい……おやつだよ!って。


原作戯曲との変更点に触れる前に。
「良い子はみんなご褒美がもらえる」はいくらでも深読みできるしどの考察も正解であり不正解であろう舞台だと思っています。
政体がどうとかメタファーがどうとか正直私はあんまり興味がない(歴史を始め社会科全般が大の苦手でロシアクラスタなのにロシア史にすら疎い)ので一切触れません。
とにかく私は、このお話を三人のアレクサンドル(サーシャ)によって構成された「父と子」のいわゆる三角関係なのだと捉えました。
他の解釈ももちろんありです。各人各様に解釈があってそれでいい……。


原作との変更点その一:
・ハシノフは堤サンドルに「(僕のオーケストラが)聞こえる?」と訴え続ける。

(このくだりは原作には一切ありません。完全に日本版オリジナルです。)

私はこれが一番怖かった。
冒頭の場面でハシノフは、精神病院の先輩として堤サンドルに与える三つの助言のひとつで「担当の精神科医にすべてを明かすべからず。(Number two - never confide in your psychiatrist.)」と言い、自分ものちの場面で「あなたのオーケストラはいません!」と説得しにかかる精神科医を適当にいなしつつも(オーケストラがBGMの悪夢に魘されて目覚める堤サンドルに「すみません、手に負えない連中なんです。」と謝罪することから、医者との問答のあとにもハシノフにはオーケストラが聞こえ続けていたのがわかる)、ハシノフは自分のオーケストラを堤サンドルと共有したがっていた。堤サンドルにも自分のオーケストラが奏でる音楽を聞いてほしがっていた。


原作との変更点その二:
監房で「戦争と平和」を読もうとする堤サンドルがハシノフに読書の邪魔をされて激高し本を振り上げ殴りかかる素振りを見せる。

この場面の原作戯曲(の英露翻訳の露和翻訳)は以下のとおりです。


※※※

   監房

   アレクサンドルは「戦争と平和」を読み始めたばかりである。イワノフが肩越しに本を覗き込んでいる。

イワノフ “ねえいかがでございます。公爵。ジェノアルッカボナパルト家の領地同様になってしまいましたよ”<註:レフ・トルストイ著「戦争と平和」冒頭。ここでは米川正夫訳から引用しています。次のイワノフの科白も同様。>

   アレクサンドルは苛々する。イワノフはヒステリックに大笑いする。

イワノフ “もしもあなたが今べつに戦争というようなものはないとおっしゃったり、色んな忌まわしい恐ろしい所業を弁護したりなさると……”

   アレクサンドルは椅子から跳ね起きて本を閉じる。オーケストラは何小節かチャイコフスキーの荘厳序曲「1812年」を演奏する。イワノフはアレクサンドルの肩を鷲掴む。不安が掻き立てられる場面。次の瞬間には暴行や殴り合いが始まりかねない。その後、イワノフはアレクサンドルの両頬に接吻する。

イワノフ 勇敢であれ、友よ! 僕のオーケストラはみんな自分の指揮棒を持ってるんだ。将軍になろうと望まない兵隊は悪い兵隊なんだよ。<註:ロシアのことわざです。英語原作にはありません。>次は君の番だ!
<英語原作原文は「Courage, mon brave! Every members of the orchestra carries a baton in his knapsack! Your turn will come.」>

※※※


英語版舞台も、高圧的に迫るイワノフにアレクサンドルは怯み本を投げ捨て後ずさるが、胸ぐらを掴まれて揉み合ったあとおもむろに両頬に接吻されます。

しかし日本版舞台では、読書しようとする堤サンドルにハシノフは執拗につきまとい、うざ絡みしすぎて激高されます。堤サンドルは本を投げ捨てるのはなく殴りかからんとするように振り上げて、ハシノフは怯えて縮こまります。あれは大人に殴られたことのある子供の反応です。

あくまでも解釈のひとつなのですが、イワノフの狂気は幼少期に性的なものも含む虐待を受けていたせいだと私は思います。冒頭のアレクサンドルとの会話でやたらと攻撃的で性的な発言をするのは、過去の実体験に基づいているからのではないかと。


※※※

驚いちゃうな。ヒントをくださいよ。もしも僕が今あなたに殴りかかったら、血が流れて肉が剥き出しになるくらいにね、あなたは顔と手のどっちをかばいます? 一週間立たされ通しで座れないか、座りっぱなしで立たせてもらえないか、どちらがよりトラウマになりますか? 僕は残りの楽器を絞りたいだけですよ、おわかりでしょう? あなたの楽器、跪いた状態でも自分の尻に突っ込めるものだと思うんですが、合ってますかね?<英語原作は「If I beat you to a pulp would you try to protect your face or your hands? Which would be the more serious - if you couldn't sit down for a week or couldn't stand up? I'm trying to narrow it down, you see. Can I take it you don't stick this instrument up your arse in a kneeling position?」>

※※※


ハシノフは医者を信用しきれずに距離を置いていたが、同室となった堤サンドルには妙になつっこくすり寄っていた。まるで子供のような無邪気さで、気難しい父に一方的に甘えるように。

ハシノフは堤サンドルと同じ屋根の下(監房だが)で堤サンドルと同じ食事をし(ハンストで拒否ったのを勝手に食っただけともいう)読書の邪魔をして叱られる。それは自分が生まれたことによって母を亡くし、幼くして父からも引き離されたサーシャくんが切望してやまなかった立ち位置でしょう。パパが僕と一緒に住むべき部屋に赤の他人(爪塗ってるオリガさん)がいるんだよ、とサーシャくんは限られた面会時間で訴えていたのに、堤サンドルは自分のハンストのことばかり考えている。次に面会に来たサーシャくんがもはや訴える言葉すら失い「パパ!」と叫ぶことしかできなくなるほどやつれ果てて。ひでぇ父親だ。

英語版舞台のイワノフはなんかノリノリで医者の白衣を羽織って積極的に医者の振りをしますが、ハシノフは「わーいぼくのオーケストラやっぱあるんだー!」と超生き生きと喜びの舞を披露してすぐ、診察室のドアをサーシャくんがノックする音ではっと我に返るんですよ。「えらいお医者さんのお部屋にお医者さんがお出かけ中なのにぼくだけいちゃってるごまかさなきゃ」って。それでとっさに医者が置いていった白衣を羽織って医者になりすますんです。あれもまた「大人に叱られることをしてしまって取り繕うとする子供の行動」です。ハシノフは体こそ大人ですが心は子供のまま、(私が思うに過去の児童虐待のせいで)時を止めてしまい健全に成長しきれなかったいびつな状態だから、妄想のオーケストラの存在を無邪気に信じられるし、たまたま同室にされた堤サンドルという「大人」にぐいぐいと度を越したうざ絡み方ができてしまう。面会時のサーシャくんは実の父親の顔色を窺いながら言葉を選んでるのに。

あくまでも解釈のひとつですが、舞台「良い子はみんなご褒美がもらえる」のラストは、命を賭してでも貫こうとした信念を突如現れた権力の象徴である大佐に有無を言わさずへし折られた堤サンドルの発狂だと思っています。

だからハシノフにしか聞こえなかったオーケストラが聞こえてしまった。ハシノフの世界に取り込まれてしまった。

舞台は細かい科白までほぼ原作戯曲どおりなのですが、実はラストが大きく異なります。原作だと釈放命令を下したあとに大佐はオルガンの伴奏と共に退場、イワノフ、医者、女教師はオーケストラに加わり、「パパ狂わないで! 全部うまく行くよ!」と歌いながら駆けていくサーシャに先導される形でアレクサンドルは病院を出ていく。

しかし舞台はまるで違います。サーシャくんはステージに父を残し、大佐、医者、女教師に連れられて退場させられる(座席の位置の関係で退場していくとこがよく見えなかったんだが多分そう)。堤サンドルに寄り添い自分のオーケストラに招き入れるのはハシノフなのです。

堤サンドルはハシノフに差し出されるバイオリンは拒むが、ハシノフが消えていくオーケストラの前に立ち指揮棒を取る。実の息子であるサーシャくんの哀願には耳を貸さなかった堤サンドルだが、「勇気を出すんだ! オーケストラ団員はみんなリュックに指揮棒を入れている! 今に君の番が回ってくるさ!(正確な科白を覚えてなくてすみません)」と主張するハシノフの声は届いていたのです。

ラストのサーシャくんの歌も、確か「パパ良い子にしてて。全部うまく行くから。」に変更されていました。発狂した父に「狂わないで」と訴えたところで後の祭りだから。

何故バイオリンだったのか? おそらく楽器の種類は重要ではなくて、トライアングルでさえなければ何でもよかった。同じオーケストラにトライアングル奏者はふたりもいらないから。

医者と女教師に指示された通りに父親を説得できず、堤サンドルの信念に背いて「嘘をついて」と懇願し、ハシノフのオーケストラに招かれたのにそれを拒んだサーシャくんは悪い子だからご褒美で父親がもらえなかった。


※※※

   医者はバイオリンを取り上げる。

医者 お子さんのことは心配じゃないんですか? 年若くして今にも犯罪に走りそうですよ。<註:英語原作は「What about your son? He is turning into delinquent.」>

   医者は弦を爪弾く。<註:ロシア語翻訳は英語の語呂合わせの「良い子はみんなご褒美がもらえる」をはなから捨てて「ドレミファソラシ」としているため何も書かれていませんが、英語原作ではここで医者が奏でるのは「EGBDF」と指定されています、>

彼は良い子です。ご褒美で父親がもらえるでしょう。

   医者はまた弦を爪弾く。

※※※


ひでぇ父親だ。サーシャくんが学校すなわち社会に馴染めず問題児扱いされてるのだいたい全部お前のせいだぞ堤サンドル!?


・アレクサンドルの悪夢について

作中でアレクサンドルは二度悪夢に魘されます。
一度目はサーシャと女教師のトライアングルにまつわる会話であり、
二度目は医師にオーケストラの存在を否定されたイワノフが監房に戻ってきた時です。
サーシャと女教師の会話は、自分が政治犯として拘束されたせいで同姓同名である息子のサーシャも迫害を受けてはいないかという不安と自責の念、また面会時にサーシャから聞いた「幾何学の授業が始まった」という現実の情報が絡まり合って見せた夢でしょう。
(息子の名前を叫んでアレクサンドルは目を覚ますが、原作戯曲のト書きには「アレクサンドルが叫ぶのは夢の中であり、舞台上では反対側である。」と明記されています。)
ここで恐ろしいのは、アレクサンドルの夢の中で女教師がサーシャに言う「夕飯の時間よ」を現実のイワノフがそのまま口にすることです。
まるでイワノフもアレクサンドルと同じ夢を見ていた、もしくはいっそ、同名でありトライアングル奏者という共通点もあるサーシャとしてその夢に登場していたかのように。
(舞台の科白は覚えてないのですが、「あなたのために楽譜を書き直して全部黄色(トライアングルのパート)で塗り替えてあげる」のくだりです。続く科白は「It will look like a field of buttercups, and sound like dinnertime.」で、直訳は「それはまるでキンポウゲ畑のように見えて夕食の時のように鳴り響くでしょう」。「キンポウゲ(buttercups)」を食器に例えて食器の鳴る音とトライアングルの音色をかけている。
イワノフは目を覚ましたアレクサンドルに「Dinnertime.(夕飯だよー)」と告げる。)


二度目の悪夢はさらに恐ろしい。


※※※

そのあいだ中(イワノフと医師の問答)ずっと、監房のアレクサンドルは自分の寝台で眠っている。イワノフが戻ってくる。彼はトライアングルのビーターを取り上げる。眠っているアレクサンドルのそばに立って彼を眺める。音楽が不安を掻き立て始め、やがて恐ろしいものに変わる。それはアレクサンドルの悪夢である。音楽の主旋律は大詰めを迎えそうになるが、その時アレクサンドルは目を覚まして飛び上がる。音楽はやむ。
   沈黙。

イワノフ すみません。手に負えない連中なんです。<註:英語原作は「Sorry. I can't control them.」>

※※※


この時点で既に、夢の中ではあるがアレクサンドルにはイワノフのオーケストラが聞こえているのです。しかもそれを知っているかのようにイワノフは、アレクサンドルの悪夢は自分のオーケストラのせいであるものとして謝罪しています。アレクサンドルの正気はイワノフの狂気に徐々に浸食されていっている。


「良い子はみんなご褒美がもらえる」の世界では、音楽が狂気の象徴として扱われています。
(ラストで大佐はアレクサンドルに「お前には何か音楽が聞こえているか?」と問いかける。)
診察室のイワノフのもとから逃げ出したサーシャが父を探し求めて病院内をさまよう場面で、
どこからともなく聞こえるサーシャの歌声とサーシャに語りかけるアレクサンドルのうわごとのような詩が交錯しますが、あるいはあの場面こそアレクサンドルの悪夢なのかも知れません。イワノフの狂気に引き込まれ、実の息子が哀願する声までが音楽としてメロディに乗って聞こえるようになってしまった。何でもかんでも音楽に結びつけずにはいられないイワノフと同じように。

サーシャくんはハシノフに堤サンドルを決定的に奪われた。原作と違い、ハシノフの狂気に取り込まれた父を精神病院の外に連れ出すことが彼にはできなかったから父をハシノフのそばに残して退場させられる。


「父と子」の物語として見ると本当に残酷な話なんですよ、「良い子はみんなご褒美がもらえる」は。実の息子サーシャくんをないがしろにしてまで己なりの正気(信念)を貫こうとした堤サンドルだが、ハシノフの狂気に取り込まれオーケストラが延々と鳴り響くハシノフの世界に連れていかれた。サーシャくんは悪い子だからご褒美で父親がもらえなかった。ハシノフのオーケストラが聞こえない者は舞台から退場させられ、ハシノフのオーケストラが聞こえる者のみが舞台に残ることが許されたのです。

 
開演前の客席にトライアングルの音色が響き渡ります。静かに、簡潔に、ただ一打。

橋本さんは「観客にはイワノフのオーケストラが見えているし聞こえている。観客は僕の味方です。」とおっしゃっていましたが、まさにそう。トライアングルの音色が聞こえてしまったその瞬間に、我々観客はハシノフの狂気の世界に足を踏み入れているのです。